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だって人間だもの〜言葉の伝え方とハラスメント

言葉の伝え方とハラスメント

ハラスメントは上下の関係(パワーのバランス)から生まれる場合が多々あります。
ある省庁から関わっているプログラムのヒアリングをされました。
ヒアリング側だったひとりの大学教授から「あなたのところの講座は人が集まっていませんね。もうほとんど死んでいる、ということですよね」と言われたので、、、
「そうですね、もうほとんど死んでいるという表現を使ってお答えすれば、もうほとんど死んでいる、ということですね」と、同じ言葉で返しました。
あとで考えると、インパクトのある「死んでいる」という言葉を使っています。これはアウトですよね。以前に面識もない人ですから。ヒアリングする人、される人という上下関係からの言葉と受け取られてしまっても仕方がないでしょう。
最近、メキメキと勢力を増してきたキャリアのグループの窓口の人に「私たちのグループに参加したいって、どんな魂胆があるのですか」と聞かれました。多分、ご本人は「魂胆」がマイナスの意味を含んでいる、ということを知らなかったのだと思いますが、、、
「魂胆」という言葉は「なぜ、参加したいのですか」で良いと思いますが、、、誤解されて受け取られると、大変なことになりそうです。
ある知人から「あなたは人としてどうかと思うから、あなたのことをみんなに話して、神に祈ってもらう」と言われました。
これは「神の言葉ハラスメント!」に該当します。「神」という言葉を出せば、「神」の前に誰も意見を言えなくなります。
人としてどうか、と思うのは主観です。でも私はそこまで「人としてどうかしている」とは思っていないんです。
ここにも上下の関係(パワーバランス)が存在しているかもしれません。

 

 

ハラスメントと音楽

音楽は私たちの人生にとってなくてはならないものです。絶望の時、歓喜の時、ぽぉっとしている時、いつでも音楽は共にいてくれます。

そんな素晴らしい音楽を奏でる音楽家の世界に、悲しいかな、「ハラスメント」があります。クラシック界の巨匠といわれる指揮者たちですらその対象になります。バレンボイムなどのパワハラ報道はまだ記憶に新しいところです。

 

日本を代表とする楽団のかつての指揮者も例外ではないようです。楽団のレベルを上げるためには厳しい指導は当然なのだと考えていたのでしょう。しかし多数の楽団員が辞め、精神疾患を発症する者もあらわれた。楽団の技術は上がったかもしれませんが、そこには人を感動させる音楽性はもはや失われていた、と語る楽団員。

人間のいるところにはハラスメントがいつでも起こり得るということでしょう。

(副代表 松本利勝)

 

 

ハラスメントと宗教

宗教の世界のハラスメントは、私たちにとって想像がなかなかつきません。

 人はどうしようもなくなった時に、自分の思う神に縋り、癒しを得ます。つまり救われるのです。生活苦、人間関係、失恋、家族関係等、わたしたちを取り巻く問題はいっぱいです。だからある人たちにとっては宗教はとても大切でかけがえのないものです。

そんな安心できる場にハラスメントが起こるのでしょうか。

 しかし、人が集まって活動する宗教の世界。こちらも上下の関係を中心とした階層型の構造になりがちです。いえ、私たちは神のもとに平等です、という方がいらっしゃるかもしれません。確かに、そのような宗教団体もあるでしょう。

「まさか、あの宗教の指導者が・・・」と思うようなセクハラ、パワハラのニュースも、報道されています。「宗教上の指導」が実際はパワハラ、セクハラと認定される場合もあるのです。

「私の信じる宗教はハラスメントはない」と言い切ってしまう人がいますが、神ではなく、そこに集まる人たちはどうなのか、というところに焦点を当て、ハラスメントを考えなくてはならないと思います。

(代表 吉本惠子)